深い緑の日記

続けばいいな

傘の話

明日は大雨らしい。

 

朝から晩まで10ミリくらいの雨が降る予報が出ている。どうしても大学でやらなければならないことが無ければ間違いなく大学には行かないが、残念ながら明日はどうしてもやらなければならないことがあるので、大雨の中、小さな傘を差して大学に行くことが確定している。

 

俺の家にはちゃんとした傘が無い。折りたたみ傘しか使わないからだ。高校生のある曇りの日、ちゃんとした傘を持って家を出たら、学校につく頃には晴れていた。下校の際に自分の傘が一本だけ傘立てに立っているのを見て、自分が「普通の人」から外れたところにいるのかもしれないという焦りを感じたことを覚えている。その日から「家を出る瞬間に雨が降っていなければ傘を持っていかない」というルールを決めた。

 

どんなに大雨の予報が出ても、家から一歩足を踏み出したタイミングに雨が降っていなければ傘を持って行かない。学校の最寄り駅についた時間には大雨が降っていて、折りたたみ傘では防ぎきれずに濡れてしまったとしても、「家を出る瞬間には雨が降っていなかったからしょうがない」と自分に言い訳をしていた。

 

逆に、30分後には晴れるという予報が出ていたとしても、傘を差して家を出て行った。高校時代は『徒歩10分→自宅最寄り駅→電車30分→高校最寄り駅』というスケジュールで通学しており、30分後であれば晴れている(少なくとも雨がやんでいる)可能性は高いが、ちゃんとした傘を差していった。これについては「自分が家を出る瞬間には雨が降っていたのだから傘を差す必要があったのだ」ということで傘を持っている自分を正当化していた。もちろん、晴れている日に傘を持っていたとしてもそれを否定する人はいないが、自意識過剰な高校生の自分は他人から変に見られることを過剰に嫌っていた。そのため、傘を持つ・持たないということもその時の気分で決めることができなかったのだ。

 

こういう高2病的な考え方は受験勉強をしていく中で少しずつ治まっていった。「第一志望の大学に合格したい」という1つの目標に向かって時間を割いていく中で、他の人からどう思われているかということを考える時間が減ったためだ。結局、暇だから余計なことを考えていたというだけだった。どんなものでも没頭できるものがあれば変なことを考えなくても済むのかなぁなんてことを思った。

 

 

 

 

大学に入ると、授業ごとに講義室の移動があり、単純に傘が荷物になって邪魔になるので大きめのしっかりした折り畳み傘を買い、それを使っている。