深い緑の日記

続けばいいな

クリア後の世界が欲しい

絵に描いたような三日坊主となってしまった。

 

毎日何か感じたことを書こうと始めた日記だが3日目にはネタ切れを起こし、Vジャンプの攻略本くらい薄い内容の日記を投稿して、その後1週間以上更新しないという事態が起こってしまった。まあ誰に見せるというわけでもないし、過ぎ去った時間を後悔しても仕方がないので今回のことは不問として、明日以降また頑張ります。

 

日記をさぼっていたのは立派な理由がある。それは毎日の暇な時間を全て「ゼルダの伝説ティアーズオブキングダム」に費やしていたためである。ようやく昨日クリアしたので久しぶりに日記を書く気になったのだ。「ゲームは1日1時間!」とまではいかなくても毎日ゲームをする時間を決めて、それを守れていたら日記を更新することもできたのかもしれないが、ティアキンはあまりにも面白すぎて、発売から2週間で80時間以上をこのゲームに費やしてしまった。このゲームはオープンワールドとして探索することの面白さや、ミニゲーム的な祠のクリアした時の爽快感はもちろん、前作と比較してストーリー部分が格段に面白くなっており、止め時を完全に失ってしまった。時間を主題にしたセカイ系的なストーリーはオタク心を揺さぶるものがあった。新海誠作品や00年代のエロゲ原作深夜アニメならともかく任天堂がこんなストーリーを作るんだ・・・という驚きがあった。

 

ここまでティアキンをべた褒めしたが、少し不満に思っていることがある。まあこれはティアキンに限ったことではないし、完全に好みによるところではあるのだが、「クリア後の世界」を歩けないことが少し残念に思う。まあクリア後の世界(=ゼルダ救出後)の世界を描いてしまうと、多くのサブミッションと矛盾が生じてしまい、クリア後に後回しにしていたミッションがクリアできないということになってしまうので、ラスボス戦前の世界に戻すのは仕方が無いというのは理解できる。ただ、自分はラスボス戦に行く前に結構気持ちを作るタイプなので、ラスボスと死闘を繰り広げ、ゼルダと再会することができたのに、監視砦に戻ってみればプルアが「姫様は地底にいる!」みたいなことを言っているのを見ると何とも言えない気持ちになってくる。

 

クリア後の世界が欲しいというのはどのゲームをやっても思うのだが、一番最初に思ったのは恐らく小学生の時にやった聖剣伝説のDSのゲームだったと思う。正直内容はほとんど覚えていないのだが、「このラスボスを倒さないと世界がヤバい」みたいなことを村のみんなが言っているので、すぐに木のなんかみたいなラスボスを倒し、エンディングを見た後に村のみんなに報告に行ったら、「このラスボスを倒さないと世界がヤバい」みたいなことをまだ言っていて非常に悲しい気持ちになったのを覚えている。多分そこからクリア後のやり込み要素にあまり手を出さなくなったんだろう。

 

ラスボスを倒すと雑魚敵も消えるみたいな世界観では、ラスボスがいない世界を描くのは難しいと思うので、この想いが叶うことはないのはわかっている。まあティアキンみたいにクリア後の世界がないとわかりきってるゲームに関してはクリア前に満足するまでやりこんでしまえばいいのかな。